Ochikubo-7
このサイトは、日本で千年余り前に書かれた物語を読んでみようという試みです。
取り上げる作品は、『落窪物語』です。
西洋では17(19)世紀に書かれた『シンデレラ』の日本の古典版といえるものです。
小さいお子さんからおじいちゃんおばあちゃんまで、老若男女を問わず、皆様にお楽しみいただけるお話ではないかと思います。
ぜひご家族で、一人でも多くの方に一緒に読んでいただけましたら何よりです。
(なお、このサイトの著作者は古文になじみがありません。現代の日本語で読み、考え、さらに英文で表現するという難題に挑戦したいと思います。また、このコンテンツはあくまでもこのサイトの著作者の解釈に基づくものであることをご承知おきください。)
このサイトで主に使用する辞書・書籍
『落窪物語』(稲賀敬二)(新潮社 2017)
『全訳読解古語辞典(第五版)』(小型版)(鈴木一雄 小池清治 倉田実 石埜敬子 森野崇 髙山善行)(三省堂 2021)
『ルミナス和英辞典(第2版)』(小島義郎 竹林滋 中尾啓介 増田秀夫)(研究社 2006)
『ニュースクール英和辞典(第二版)』(廣瀬和清 伊部哲)(研究社 2019)
なお、下記のサイトで、原文の全文を見つけました。
(https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt)
まず今回のあらすじを紹介いたします。
その後ピックアップした古語の意味合いを考え、平安時代の社会や文化のあり方などいろいろ考えてみたいと思います。
今回のあらすじ
帯刀が左大将の邸を訪れると、待ち切れない様子の右近の少将が、「どうなった、例の件は」とたずねるので、「話しましたところ、妻のあこきがかように申しまして、とても殿のお望みどおりにはなりますまいかと。親がいれば普通せいて婿取りもするのでしょうけれど、おちくぼ姫のお父上はご正室の北の方さまの言いなりで、とうてい動かれますまい」と答えると、「だから連れてけと言っただろ。うちの格を考えると婿入りではみっともないしな。好ましければ妻として連れて来よう」と言う端から、「合わなければ、口止めしてよそう」との身勝手さに、「どちらになさるのか、殿のお気持ちが固まってから、妻に取り次がせていただいた方が良さそうですね」と苦言をていすると、それでも譲らず、「会わないことには始まらないだろ。何も知らない相手だぞ、気持ちの固めようがないだろ。おい、ちゃんと結婚前提で話を進めてくれよ。俺だって、ポイ捨てはないさ」と信用ならず、「ポイ捨てとは聞き捨てなりませんな」と釘を刺すと、右近の少将は笑ってごまかし、「永遠の愛を誓うと言いたかったのを、間違えただけだ」となおも笑い、「姫様に」と手渡してきた文を仕方なく預かり、そのままあこきに託すと、「まあ、何これ。こんなもの渡してどうなるっていうのよ。姫様にどうでもいいことなんてお耳に入れられないわ」と突っぱねるのを、「返事を書いたからって悪いようにはならないだろう」と説得し、あこきからおちくぼ姫に「前にお伝えした右近の少将様からお文です」と差し出すも、「そんなもの、いただいても困るわ。継母上様がお知りになったら、きっとおとがめになるわ」とおっしゃいます。「では、北の方様が姫様のことを悪しざまに言わないことなどおありですか。お気になどなさることはございません」と言って勧めるも、姫様は黙ったまま何もおっしゃいません。
[今回の古語]
ピックアップした古語の意味合いを考えてみたいと思います。
「帯刀が左大将の邸を訪れると、待ち切れない様子の右近の少将が、「どうなった、例の件は」とたずねるので、「話しましたところ、妻のあこきがかように申しまして」」という箇所の古語を取り上げます。
「帯刀、大将殿に参りたれば、「いかにぞ。かのことは」、「言ひはべりしかば、しかじかなむ申す。」
まゐる(参る)
高貴な方の所に移動する⇒①参上する・うかがう ②参ります ③差し上げる・献上する ④○○し申し上げる ⑤(格子を)お上げする・お下げする ⑥召し上がる ⑦なさる
①⇒⑧(后が宮中に)入内する・内裏にはいる ⑨(神社へ)参詣する・お参りする
ここでは、帯刀が右近の少将の父親である左大将の邸に参上し、うかがったことを表しているのではないでしょうか。
はべり
高貴な方のおそばにいさせていただく⇒お仕えする・控える
あなたさまのおかげでいさせていただく⇒あります・おります・ございます
⇒○○ます・(で)ございます
ここでは、帯刀が妻のあこきに話したことを、右近の少将に向かって丁寧な表現で説明していることを表しているのではないでしょうか。
平安文化のあれこれ
どうやら右近の少将の場合は実家も裕福で地位も高いとどこかの家の婿になるよりも嫁を迎えた方が良いというケースもあるのでしょうか。自分の家よりも地位が高い家を見つける方が難しいのかもしれず、その場合はデメリットの方が大きくなるから、気に入った女子を見つけて自分の家に連れて帰るという方法を取るのでしょうか。そして、おちくぼ姫はどうやらそういう “王子様" に救ってもらうのでしょうか。確かにそれなら意地悪な継母のいる家から抜け出せて、しかも姫の父親よりも地位も高くて裕福な家に嫁ぐわけですから普通に考えても良縁となり言うことなしでしょうか。右近の少将に難点があるとすれば、一人の女性よりも多くの女性と楽しみたいのではないかというところでしょうか。そこがあこきには気に入らないというか不安要素でしょうか。そして帯刀もその点でおちくぼ姫が傷つくことのないようにと気を使っているようではないでしょうか。右近の少将が遊びまわらずにおちくぼ姫だけで満足すれば万事丸く収まりそうですけれど。もしかしたら右近の少将には、おちくぼ姫の亡くなった母親が皇族と血縁関係にあるというところが、本来の家柄とか身分が高くて申し分ないのかもしれませんね。今の境遇は落ちぶれているかもしれないけれど、元々高貴な家柄の姫だから、それで姫の人柄とか中身もその高貴な身分に見合った素晴らしいものだということになれば、申し分ないではないかとなるのでしょうか。右近の少将の場合は、実家のお金であってもお金持ちだからこそ、こういう落ちぶれた姫を嫁にしようではないかと考える余裕があるのかもしれませんね。おちくぼ姫を救える “王子様" は、どうやってもお金持ちの身分の高い家の息子になるのかもしれません。そういう条件だけで言えば、おちくぼ姫は必ず幸せになれそうでしょうか。まさにシンデレラストーリーでしょうか。
ここで少し脱線して、平安のいろいろに触れてみたいと思います……
「野辺までに 心ばかりは通へども わが御幸とも 知らずやあるらん」
((定子が葬られる)野のあたりまで(一条天皇の)心だけは通じているけれども、あなた(定子)は私(一条天皇)が深雪の中あなたの元まで参っていることを知らないでいるのではないでしょうか。)
中宮定子が亡くなったときに(夫の)一条天皇が詠んだ歌のようです。救われる思いがしますね。一条天皇の想い(心)はずっと中宮定子のもとにあったのでしょうけれど、実際には引き離されたような状態だったでしょうから、定子としてももしかしたら複雑な思いもあったでしょうか。そこへ(といってもあの世に行った後のことですけれど)この歌を送られたら嬉しいのではないでしょうか。定子が忘れられてしまっているのではないかと不安な思いを問いかけたのに対して、一条天皇があなたの方こそ私が(いつも)あなたのそばにいることに気づいていないでしょうと返しているのではないでしょうか。定子が不安にとらわれてすぐそばにいる私(一条天皇)に気づいていないよと声をかけている感じでしょうか。いつだって愛されているのに、そのことをわかっていないのは貴女の方ではないですかと、愛されているのが当然だという返し方でしょうか。天皇であっても定子のことをどうしようもできなかったという現実がうかがわれるでしょうか。この時代の最高権力者は天皇ではなく、藤原道長(貴族)だったようですね。無力と無念にさいなまれたのは定子だけではなかったのかもしれません。(自らの欲のために他人を平気で不幸にする)道長に(形の上では)仲を引き裂かれても、一条天皇も定子も心(魂)は強い絆で結ばれたまま愛し愛される幸福感で満たされた人間らしい穏やかな境地でいたということはないでしょうか。もちろん寂しさだったり悔しさだったりもあるのでしょうけれど、でもそれ以上に、お互いを想うあたたかい気持ちで幸せすら感じられていたということはないでしょうか。道長には天地がひっくり返っても絶対にわかりえない心境でしょうか。(本当は定子や一条天皇は負け犬のはずなんだけど、なんだか道長の方こそ本物の負け犬のようにも思えないでしょうか。道長のようなのは誰かと心を通わせるとかなどということにはそもそも興味がないのでしょうけれど。)
ちょっと寄り道
『枕草子』には、中宮定子の父親である藤原道隆が健在で一家が栄華を謳歌していた頃の様子も、道隆が急死した頃の話も、その道隆を供養する法事、さらには定子が窮地に追い込まれていき、最後には二十五歳という若さで亡くなる時期の描写も描かれているようです。必ずしも時系列ではなく、もしかしたら清少納言の心境とか書く気になるかどうかといった状態も影響していたのでしょうか。同じ時期のエピソードなのではないかと思われるものが、前半と終わり頃のようなかけ離れたところに書かれていたりもするようです。最初は書けなかったのだけど、やっぱりこれを書いておきたいとか、今なら書けるなとか、そうしたことだったのでしょうか。定子が無念な絶望の淵に沈んでいたのではないかというときでも、清少納言の筆は、どこまでも軽やかで素敵な定子様を描いているようです。嘆き悲しんでも始まらないからなのか、(定子が)嘆いていないわけがないという境遇に置かれながら、(清少納言は)どこまでも(ある意味強気で)決して悲劇のヒロインにならない、なってなるものか、といった気概すら感じられそうにも思われないでしょうか。あくまでも定子を気高く、中宮という位にあった女性にふさわしい誇りを最後まで持たせて、なおかつその素晴らしい人柄の(良さの)ままに、雄々しく定子に最期をおくらせようとしているようにも思われないでしょうか。やっぱり清少納言は、定子の宝ではないでしょうか。最後の最後まで定子を支え続けて、見事な最期を遂げさせたと言ってもいいのではないでしょうか。もしかしたら清少納言は、そうやって定子の最期を見送ることが自らの使命だという思いもなかったでしょうか。だから、そこさえ清少納言が満足のいくようにできていれば、紫式部にどんなに死に様の悪口を言われようとなんともなかったということはないでしょうか。清少納言は定子のために生き、その定子がこの世を去ったとき自らの命も終わったようなものだったということはないでしょうか。定子はそこまでかける価値のある尊い方だったのでしょうし、そこまでの人に出会えて自分は恵まれていたとも思っていたかもしれないのではないでしょうか。『枕草紙』は、お気軽な読み物に思えて、実は清少納言と定子の命がけといってもいい作品になっているということはないでしょうか。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。次回もまたぜひお付き合いいただけましたら何よりです。またこのページの最後に掲載いたします英語版(有料)もぜひお読みいただけませんでしょうか。あわせてお心付けもお願いできましたらありがたく存じます。
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