Ochikubo-3

このサイトは、日本で千年余り前に書かれた物語を読んでみようという試みです。

取り上げる作品は、『落窪おちくぼ物語』です。

西洋では17(19)世紀に書かれた『シンデレラ』の日本の古典版といえるものです。

小さいお子さんからおじいちゃんおばあちゃんまで、老若男女を問わず、皆様にお楽しみいただけるお話ではないかと思います。

ぜひご家族で、一人でも多くの方に一緒に読んでいただけましたら何よりです。

(なお、このサイトの著作者は古文になじみがありません。現代の日本語で読み、考え、さらに英文で表現するという難題に挑戦したいと思います。また、このコンテンツはあくまでもこのサイトの著作者の解釈に基づくものであることをご承知おきください。)

 

このサイトで主に使用する辞書・書籍

『落窪物語』(稲賀敬二)(新潮社 2017)

『全訳読解古語辞典(第五版)』(小型版)(鈴木一雄 小池清治 倉田実 石埜敬子 森野崇 髙山善行)(三省堂 2021)

『ルミナス和英辞典(第2版)』(小島義郎 竹林滋 中尾啓介 増田秀夫)(研究社 2006)

『ニュースクール英和辞典(第二版)』(廣瀬和清 伊部哲)(研究社 2019)

 

なお、下記のサイトで、原文の全文を見つけました。

https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

 

まず今回のあらすじを紹介いたします。

その後ピックアップした古語の意味合いを考え、平安時代の社会や文化のあり方などいろいろ考えてみたいと思います。

今回のあらすじ

おちくぼ姫はうち沈んだ気持ちで日をおくる中に、することもなくお裁縫を始めると、もともと器用で衣の端もきれいに縫えたので、それを知ったまま母の北の方が「それはいい。容姿がいまいちなのだから、役に立つことを身につけるのが一番だ」と言って、娘二人の婿が着る衣服を、わずかに休む暇もないほどに立て続けに縫わせたため、忙しいなんてものではなく、眠ることすらできなくなるほどでした。ほんのわずかでも手が止まれば、「これだけのことをさえ嫌がるとは、どういう了見だろう。何ならできると言うのか」ととがめるので、思わず「ああこんなにつらいなら、いっそ死んでしまいたい」と涙にかきくれるのでした。
北の方が大事にしていた三番目の娘も婿を取ると、ますます忙しさに拍車がかかり、耐えがたいつらさにさいなまれ、若く着飾った女房などはお裁縫のような人目につかない内向きのつとめを嫌ったのか、北の方にこき使われる姫を馬鹿にするので、あまりの仕打ちにやりきれず、涙が止まらぬ中それでも縫う手を止めることなく、「いっそ死にたい、その願いさえかなわぬとは、なんと悲しい、この身の上」とこぼすことしかできませんでした。

 

[今回の古語]

ピックアップした古語の意味合いを考えてみたいと思います。

「若く着飾った女房などはお裁縫のような人目につかない内向きのつとめを嫌ったのか、北の方にこき使われる姫を馬鹿にするので、あまりの仕打ちにやりきれず、涙が止まらぬ中それでも縫う手を止めることなく、「いっそ死にたい、その願いさえかなわぬとは、なんと悲しい、この身の上」とこぼすことしかできませんでした。」という箇所の古語を取り上げます。

「若くめでたき人は、多くかやうのまめわざする人は少なかりけむ、あなづりやすくて、いとわびしければ、うち泣きて縫うままに、世の中にいかであらじと思へども、かなはぬものは憂き身なりけり」

めでたし
たいそうすばらしい⇒すばらしい・りっぱだ・すぐれている⇒喜ばしい・祝うべきことだ・けっこうだ
ここでは、若い女房たちの見た目が「すぐれている」という意味合いで使われているのではないでしょうか。

まめ
①(人が)まじめな・誠実な(⇒「まめやか」(人が)まじめな・誠実な)
②(物が)実用的・実際的(⇒「まめやか」(物が)実用的・本格的)
①⇒③勤勉な・よく働く・忠実な⇒④健康な・丈夫な
ここでは、お裁縫のような「実用的な」仕事をするという意味合いで使われているのではないでしょうか。

わびし
物事が思うようにならずつらい⇒①やるせない・悲しい②困った
①⇒③やりきれない・つらい⇒④がっかりだ・興ざめだ
②⇒⑤貧しい
ここでは、おちくぼ姫が「やりきれない・つらい」気持ちでいたことを表しているのではないでしょうか。


自分の晴れない気持ちを表す⇒①つらい・ゆううつだ②わずらわしい・気が進まない・いやだ③憎い・気にくわない④つれない・薄情だ
ここでは、おちくぼ姫の「つらい」自分の身の上を表しているのではないでしょうか。

 

平安文化のあれこれ

おちくぼ姫の異母姉妹はおそらく平安時代の幸せの形をそのまま絵に描いたような優雅な生活を送っていたのではないでしょうか。姫はそういう異母姉妹に何も思わず、北の方に恨みを持つこともせず、ただ自らの不遇の身を嘆くばかりのようではないでしょうか。そこに、このおちくぼ姫の人柄の良さが表れており、それが姫の人をひきつける魅力になっているのではないでしょうか。おちくぼ姫のモデルになったと言われている中宮定子も、誰に恨みを持つこともなく、ただ自分の不運や悲惨な運命を黙って受け入れるだけだったのではないでしょうか。そしてそんな素敵な定子だからこそ、清少納言も力になりたいという思いを『枕草子』という形にして定子に捧げたのではないでしょうか。もしかしたらそんな定子の父親や兄弟だからこそ、藤原道隆や道頼も藤原道長にされるがままになってしまったのでしょうか。憎まれっ子世にはばかるというのは、こういうことを言うのでしょうか。そしてその周囲の人たちは、そんな定子や道頼と道長を見ながら、それぞれに心を痛めたり、何かできることはないかと考えたりしていたのでしょうか。そういう中で、思うところを公にしてみようじゃないかと動いたのが源順だったのでしょうか。黙っていられずストレートに思いを言葉にしてできあがったのが、『おちくぼ物語』の巻三の途中までのストーリーなのでしょうか。『枕草子』が直接定子に宛てた個人的な私信のようなものだとしたら、源順の『おちくぼ物語』は世間に定子や道頼をはじめとする藤原道隆一族の没落の真相を訴えた、いわばフィクションの形を借りたノンフィクションのようなものだったということはないでしょうか。清少納言も源順もどちらも藤原道隆側の人間と言ってよいのではないかと思われますが、実は道長の所業を快く思ってない人が道長側にもけっこういたのではないかと思われる節がないでしょうか。まず(実の娘であっても)彰子が挙げられるのではないでしょうか。その彰子に身近に仕えていた紫式部も、実は『源氏物語』というフィクションの体を装いながら、主人である彰子の父親、道長を半ば公然と批判していたという説もあるでしょうか。紫式部の場合は、彰子のつらさや苦しみを間近で見ながら、やはり清少納言が自らの主人である定子のために何かできることはないかと動いたように、筆の力で彰子の思いを彰子に代わって道長に訴えようとしたということはないでしょうか。では、彰子の意を汲んで書き表した(のではないかという)『源氏物語』を通じて紫式部は何を道長に訴えたのか――それは、自分が人にしてきたことはすべて自分に返ってくるということだという説があるでしょうか。道長が藤原道隆一族にしてきた冷酷無悲な非道の数々を、いずれその報いを受けることになると道長に忠告しているということでしょうか。娘の彰子は、父親のしていることは間違っている、それは倫理道徳とか、あるべき人の道とか、そうしたものに反していると言いたかったのでしょうか。彰子なら、(もしかしたら何度も)父親に直に苦言を呈してもいたのでしょうか。だけど、聞く耳を持たなかったのでしょうか。そしてそうしたすべてを実際目にもしていたかもしれない紫式部が、口でストレートに道理を説いても無駄のようであれば、じゃあ違う形で、もっと腹に落ちるというか、フィクションのストーリーを通じて仮想体験を通して身を持ってわかってもらえるようにと考えて創作したのが『源氏物語』ということでしょうか。もちろん純粋に読者を楽しませるエンターテイメント作品を作ろうという思いもあったのでしょうけれど、道長にわかってもらいたいという願いも込められたものだったのでしょうか。そしてそうした意図や目的もあったからこそ、良い作品に仕上げなくてはいけないという思いも強くあったのでしょうか。もしかしたら、単に道長だけではなくて、二度と彰子のような思いを味わう人が出てくることのないように、後世まで長く残るものにしていこうとも思ったのでしょうか。もしかしたら、ある一つの悲劇がいろんな人の心を動かし、それぞれのスタンスで様々な作品が生まれ、しかも千年経った今でも読みつがれるものとなったのでしょうか。どの作品もすべて、それぞれの真心から生まれ、その真心ゆえに時代を問わず人の心をひきつけてやまない魅力を持つようになったのでしょうか。

 

ここで少し脱線して、平安のいろいろに触れてみたいと思います……

平安トピック

「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子みかうしまゐりて、炭櫃すびつに火おこして、物語などして集りさぶらふに、「少納言よ、香爐峯かうろほうの雪、いかならむ」と、おほせらるれば、御格子上げさせて、御簾みすを高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」と言ふ。」
(雪がたくさん積もったときに、いつもとは違って定子様のお部屋の格子を下げて、火鉢に火を入れて暖を取り、みなであれこれ話をしながら集まっておそばにひかえていると、定子様が「少納言よ、香爐峯の雪はどんなであろうか」と仰るので、格子を上げてもらい、すだれを高くかかげたところ、定子様は声を立ててお笑いになり、その場のみなも「そういう(漢詩の)話は知っており、和歌に歌うこともあるけれども、考えが及ばなかった。やはり中宮という御身分の方には、そのようにする(宮仕え人)のがふさわしいのだろう」と話した。)

『枕草子』第二八四段です。清少納言が機転を利かせて感心させたという “自慢" とも取れる一節ですが、これは決して自慢話ではないのではないでしょうか。中宮定子と清少納言の大切な思い出なのではないでしょうか。清少納言は定子に喜んでもらえて、褒められて嬉しかったし、きっと定子も思い出せば心があたたかくなるようなエピソードだったのではないでしょうか。清少納言と定子の二人が同席して話をしているわけではなくても、手紙を通じてであっても、そういえばこんなことがあったわねえ、あのときは期待通りの応えが返ってきて私も嬉しかったのよ、とかそういう昔話に花を咲かせているのではないでしょうか。清少納言も定子も教養が深ければこそ成立するやり取りだったのではないでしょうか。他の人が読んでも感心するような話なのでしょうけれど、そもそも人に読ませる気はなかったのではないでしょうか。あくまでも定子と清少納言の二人の間に限った私信だったのではないでしょうか。それなら “自慢" にはならないのではないでしょうか。他人が入ってくるから、なんだかいけ好かない自慢話だな、ともなりうるんじゃあないでしょうか。清少納言が定子のためを思って書き続けた書簡が素晴らしいものだったからこそ、他の人々にも多く読まれるものとなっていったのでしょうけれど、スタートの段階で定子以外の人は頭になければ、ちょっと他の人に読ませるのはどうかなあ、というものも多く含まれることになったのではないでしょうか。定子のことは当然素敵な定子様としか描かないでしょうから、そうすると清少納言が描く自らの姿やあり様は、定子ならわかってもらえても、他の人には受け入れてもらえがたいものだったり誤解されたりということも出てきたのではないでしょうか。ただ、そうなってもそのままで通したというところが、清少納言らしくもあり、同時に清少納言のかっこよさではないでしょうか。あくまでもどこまでも定子のためであり、自分がどう思われるかということには頓着しないのが清少納言のように思われないでしょうか。

  

ちょっと寄り道

もしかしたら紫式部は清少納言のことが嫌いだったのでしょうか。どうも『紫式部日記』というものに清少納言の悪口とも取れそうなことを書いているようです。ただ紫式部は清少納言に限らず、他の女子(女性)の悪口ではないかと受け取れそうなことも書いているそうなので、そういう気質だったのか、それともあえて悪人面をしようとしたのかわかりませんけれど、もしかしたら平安時代というのは思ったことをそのまま遠慮なくあけすけに書く気風でもあったのでしょうか。定子の不幸や道長の所業はないだろうと思うものと、清少納言個人に対して思うところというのは違っていたのでしょうか。それとも『枕草子』を書いた清少納言に対抗して、彰子の名誉のためにもという思いもあったのか、それで『源氏物語』を書いたのでしょうか。ただ、清少納言はやっぱり、相手が誰であれ、そういう攻勢に一切反応していないのではないでしょうか。紫式部の書いた『源氏物語』は定子に同情し共感するもので、そこは悪口で個人攻撃を受けても、いや定子様の力になってくれている、とむしろ紫式部に感謝すらしていたかもしれないということはないでしょうか。私情よりも大切に想う人のために、というのが優先するのが清少納言ということはないでしょうか。紫式部が人の悪口を人の目に触れるような形で書いたその真意はわかりませんけれど、もしかしたら『源氏物語』を通じて道長に(偉そうに)倫理道徳とか筋とか道理とか説いた手前、聖人君子みたいに思われてもな、みたいな思いもあったのか、立派な人だと思われないように、むしろその真逆じゃないかと思われるように、などといった考えから人の悪口を書くような人間を立派だとか思う人はいないだろうと思ったのかわかりませんけど、何かそういった深い考えがあってのことだったということはないでしょうか。それにもしかしたら、他の人にはわからなくても、清少納言と紫式部の間には何か相通ずるものというか、紫式部が清少納言の悪口を書いても清少納言はちゃんとその真意やねらいをわかってくれるという信頼関係というか、何かそうしたものがあったのでしょうか。紫式部が他にも悪口らしきものを書いた相手というのも女性作家のようですし、わかり合っているからこその、ということだったのでしょうか。定子や道頼をはじめとする藤原道隆一族の悲劇は、もしかしたらその時代に、ほぼ道長以外のすべての人たちが、悲劇に泣かされた定子たちに同情し味方していたということはないでしょうか。道長の圧倒的な力の前に誰もなすすべもなかったのだけれど、でも同時に、そうした道長に対して、誰しもが同じ思いを、悲しみを共有し、もしかしたら分かち合っていたということはないでしょうか。一見敵味方に分かれているようでいて、実は道長一人が敵役で、それ以外の人たちはみな痛みをなぐさめ合っていたのでしょうか。そうした中から、『枕草子』や『おちくぼ物語』とか『源氏物語』が生まれてきたということはないでしょうか。すべて定子に思いを馳せる人たちの真心から生まれ、そして定子自身がそうした思いやりを寄せられるにふさわしい人柄だったからこそ、そうした物語に結実していったということはないでしょうか。なんだか定子の生きた平安時代が、愛と優しさと思いやりにあふれ、(道長以外の)すべての人たちが一つにまとまっていたようにも思われないでしょうか。その時代の作品に特別な魅力があふれているのは、もしかしたらそういう社会全体のあり方が反映されていたということはないでしょうか。容赦ない毒舌だったり、信じられないような残酷な仕返しだったり、過酷きわまる宿命だったり、記されて残されているものを見る限りではとてもそうは思えなくても、実は平安時代というのは、その作家も含めて、深い慈愛に満たされた素敵な素晴らしい社会だったということはないでしょうか。

 

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。次回もまたぜひお付き合いいただけましたら何よりです。またこのページの最後に掲載いたします英語版(有料)もぜひお読みいただけませんでしょうか。あわせてお心付けもお願いできましたらありがたく存じます。

 

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Posted by preciousgraceful-hm