Ochikubo-1
このサイトは、日本で千年余り前に書かれた物語を読んでみようという試みです。
取り上げる作品は、『落窪物語』です。
西洋では17(19)世紀に書かれた『シンデレラ』の日本の古典版といえるものです。
小さいお子さんからおじいちゃんおばあちゃんまで、老若男女を問わず、皆様にお楽しみいただけるお話ではないかと思います。
ぜひご家族で、一人でも多くの方に一緒に読んでいただけましたら何よりです。
(なお、このサイトの著作者は古文になじみがありません。現代の日本語で読み、考え、さらに英文で表現するという難題に挑戦したいと思います。また、このコンテンツはあくまでもこのサイトの著作者の解釈に基づくものであることをご承知おきください。)
このサイトで主に使用する辞書・書籍
『落窪物語』(稲賀敬二)(新潮社 2017)
『全訳読解古語辞典(第五版)』(小型版)(鈴木一雄 小池清治 倉田実 石埜敬子 森野崇 髙山善行)(三省堂 2021)
『ルミナス和英辞典(第2版)』(小島義郎 竹林滋 中尾啓介 増田秀夫)(研究社 2006)
『ニュースクール英和辞典(第二版)』(廣瀬和清 伊部哲)(研究社 2019)
なお、下記のサイトで、原文の全文を見つけました。
(https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt)
まず今回のあらすじを紹介いたします。
その後ピックアップした古語の意味合いを考え、平安時代の社会や文化のあり方などいろいろ考えてみたいと思います。
今回のあらすじ
【おちくぼ物語-1】
昔平安の御代に、娘が何人もいる中納言という貴族がいました。一番上と二番目の娘にはすでにお婿さんがいて、(現代風に言えば)中央の本宅(母屋)の両脇に設けられた離れをそれぞれあてがわれて優雅な生活を送っていました。三番目と四番目の娘二人ももうじき結婚適齢期(12(13)―14(15)歳)を迎えようとしており、とても大切にされていました。この四人の娘たちとは別に、お母さんが異なる娘がいました。四人の娘たちのお母さんとは違って、皇族にゆかりのある高貴な血筋の方でしたが、すでに亡くなられていました。四人の娘たちのお母さんは、中納言の正妻として中央の本宅の北側の離れを住まいとして、皆に北の方と呼ばれていました。この北の方、その母親のいない娘を、女房と呼ばれた召使にも劣る扱いで、まともな部屋も与えず、母屋のひさしに仮に作り付けた、床が落ちくぼんだ所に押し込めていました。このような扱いは、高貴な血筋の貴族のお姫様にはとうていふさわしいはずもなく、ましてや人並みにも劣るものでした。北の方としては、この娘のことを召使以下におとしめたいというのが本音のようでしたが、さすがにそれはその高貴な血筋を引く娘の父親である中納言の手前はばかられ、「落窪の君」と呼ぶようにと指図し、皆がそれにならっていました。父親の中納言は、おちくぼ姫が幼いころから一緒に過ごすことが少なかったのか、愛情薄く、北の方の好きにさせていたので、おちくぼ姫は父親を頼りにできないことが多くありました。他に頼みにできる人もおらず、本当なら姫に仕えているはずの乳母もいませんでした。ただ、お母さんの生きていた頃から世話をしてくれていた気の利く年の近い召使だけが、姫を助け力になっていました。姫とこの年の近い女房は、いつも二人寄り添い、いたわりあって過ごしていました。
[今回の古語]
ピックアップした古語の意味合いを考えてみたいと思います。
「父親の中納言は、おちくぼ姫が幼いころから一緒に過ごすことが少なかったのか、愛情薄く、北の方の好きにさせていたので、おちくぼ姫は父親を頼りにできないことが多くありました。他に頼みにできる人もおらず、本当なら姫に仕えているはずの乳母もいませんでした。」という箇所の古語を取り上げます。
「おとども、ちごよりらうたくや思しつかずなりにけむ。まして北の方の御ままにて、はかなきこと多かりけり。はかばかしき人もなく、乳母もなかりけり。」
らうたし
いたわってやりたいような気持ちにかられる心情を表す⇒かわいそうだ
⇒いたわってやりたいような、かわいらしさ、いじらしさに対する気持ちを表す⇒かわいい・いとしい
ここでは、父親である中納言が娘であるおちくぼ姫に対して「かわいい・いとしい」と思う気持ちが弱いことを表しているのではないでしょうか。
はかなし
はっきりした目当てがない・どうなるかわからなくて頼みにならない⇒①しっかりしていない・おさない/②はかない・あっけない・なんということもない
ここでは、父親である中納言が娘のおちくぼ姫には「頼れない・あてにできない」ことを表しているのではないでしょうか。
はかばかし
物事が思いどおりに進むさま⇒てきぱき進むさま⇒①しっかりしている・頼もしい②はっきりしている・際立っている
①⇒きちんとしている
ここでは、おちくぼ姫に「頼れる」人がいないことを表しているのではないでしょうか。
平安文化のあれこれ
平安時代は、男女ともに結婚が早く、とりわけ女子は10代前半で結婚するのが普通で、10代後半での結婚は晩婚(オールドミスとか行き遅れ)とみなされていたようです。また、この時代の結婚は、男性が女性のところに通う通い婚という形式から始まったようです。若い(というより幼い)女子は若い男子と結婚するもので、その男子は若いがゆえに地位も低く経済力も弱いこともあったのか、縁を取り持つことも、結婚のお膳立ても、若い夫婦の生活全般も、すべて若い(幼い)新妻の両親(というより父親)が面倒を見ていたようです。つまり、地位が高く経済力もあるお金持ちの父親の娘は、良縁にも恵まれぜいたくな生活もできたということのようです。幼い孫の面倒もすべてお嫁さんの両親(実家)が引き受けていたようです。こうした若い夫婦が奥さんの実家を離れ独立(自立)するのは、若い旦那さんの地位が上がって経済力がつき、自分の力で家を構える余裕ができてからのようです。娘の幸せは、結婚相手よりも、父親の地位と経済力によって決まっていたのかもしれません。おちくぼ姫の父親は、中納言という高い地位にあり、長女と次女は優雅でぜいたくな貴族の結婚生活をおうかしていたようですから、経済力にも恵まれていたのではないでしょうか。にもかかわらず、おちくぼ姫は、まま母の意地の悪いさしがねにより、異母姉妹のようなぜいたくはおろか、人並みの生活すら送らせてもらえてはいなかったのではないでしょうか。本当なら高貴な血筋を引く姫は幸せな結婚ができていたはずなのに、父親があてにならず、召使以下という不当な扱いに甘んじざるをえなかったのではないでしょうか。父親がいないも同然という不利な立場に追いやられていた様子がうかがわれます。そのような孤立無援と言ってもいい境遇の中、唯一幼い頃から身近で世話を焼いてくれた同い年くらい(同世代)の侍女(女房)だけが、姫の味方であり家族といってもいい存在だったのではないでしょうか。普通貴族の子息(子女)は、乳母の手で育てられていたようです。そうした乳母は、出産後まもない女性が務めることが多かったようです。そのため、その乳母の子どもはそうした貴族の子息(子女)と兄弟姉妹同然で育ち、死ぬまで生涯その貴族の子息(子女)に仕えることが珍しくなかったようです。おちくぼ姫の年の近い侍女(召使)も、もしかしたらそうした関係の仲だったのかもしれません。なお、平安時代の貴族は、実の兄弟姉妹よりも、そうした乳母の子どもの方が一緒に過ごす時間がはるかに長く、親密な仲になったようです。(下手をすると、場合によっては、そうした乳母の子どもの方が仲間であり味方となり、敵にまわった実の兄弟姉妹に対立・対抗していくということもありえたようです。)血のつながっているはずの家族・親族よりも、赤の他人であるはずの身近で忠実な奉公人の方が、信頼もでき当てになるのが平安時代の貴族の実態だったのかもしれません。おちくぼ姫には、この侍女(女房)がまさしく唯一の救いであり、宝のような存在だったのではないでしょうか。
ここで少し脱線して、平安のいろいろに触れてみたいと思います……
「冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ」
『枕草子』で有名な清少納言の曽祖父、清原深養父(きよはらのふかやぶ)の詠んだ和歌のようです。
真冬に雪の降る様子を描いたもののようです。底冷えするような寒さの中で、頭上から降ってくる雪を(桜の)花びらに見立てて、まだどこにも春の気配は感じられないはずなのに、それでも、目には見えない、はるかに高い天空には、もうすでに春が訪れているのだろうという想像力を巡らせているところが素敵ではないでしょうか。希望の見えない暗闇に置かれながら、それでも心の目に希望を見出していこうという前向きな積極性が感じられないでしょうか。見えなくても、感じられなくても、それでも、希望はちゃんとそこにある、そばにあるんだ、と人を励ます声が聞こえてきそうではないでしょうか。
落窪物語の作者は……
不詳ということのようですが、巻三の途中まで(主に復讐と報復という展開)とそれ以降(主に報謝・報恩の展開)で二人の作者が書いているのではないかという説があるようです。まず一人目が、「梨壺の五人」(という和歌の名人)であった源順(みなもとのしたがう)で(同じく「梨壺の五人」に選ばれていた、清少納言の父親である清原元輔(きよはらのもとすけ)と親しかったと推測される)、二人目が清少納言のようです。おおざっぱに言って、復讐と報復を主軸に描いたのが源順の方で、その路線を180度転換させて報謝・報恩のストーリー展開に変えたのが清少納言ではないかと推測できそうです。上で紹介した清原深養父の和歌でわかるとおり、(現代風に言えば)ポジティブ(プラス思考)が清原家の流儀と言ってもよいように思われないでしょうか。恨み節ではなくて、自ら(地獄の)修羅場に足を踏み入れるような愚かなことはしないというか、あくまでもどこまでも気品高く高潔というか、自らの品格や品位を落とすようなみっともないざまはさらさないというか、そうしたプライドのようなものが、清少納言には感じられないでしょうか。そうした賢明さとか聡明さが『枕草子』にも感じられることはないでしょうか。物語としては復讐劇の部分の方が面白いかもしれませんが、そうした面白さを犠牲にしてでも清少納言がなぜ報恩のストーリー展開に変えたのか――その答えも考えたいと思います。
ちょっと寄り道
清少納言は、なぜ『枕草子』を書いたのでしょうか。誰のために、どういう目的があったのでしょうか。その答えは、実は『落窪物語』も関わっていないでしょうか。つまり、清少納言は、どちらもほぼ同じ目的のために書いたということはないでしょうか。それは、ずばり清少納言の仕えた主人である、中宮定子のために書いたものだったということはないでしょうか。『落窪物語』のヒロインであるおちくぼ姫は、中宮定子がモデルになっているという見方があるようです。『枕草子』の方は、本当は中宮定子ただ一人に読んでもらうために書いたものだったということはないでしょうか。一方『落窪物語』の方は、間接的に中宮定子の名誉にも関わることと考え、復讐劇で終われば定子とその一族を貶めることになるとの思いもあったのか、それとも定子もその一族もそんな不名誉な復讐劇などに手を染めるような卑俗な輩ではないとの思いからか、一通りの復讐劇が終わった辺りから、定子やその一族ならきっとこうした報恩こそ行われるに違いないという定子とその一族の本当の人柄を反映させたストーリー展開に変えたということはないでしょうか。では、そんな途中から変えるまでには、最初から復讐劇を全部取っ払って、そもそもすべてのストーリー展開を報恩の話に変えてしまえばよかったのに、どうしてそんなことをしなかったのかという疑問がわきそうですが、それは、清少納言の父親が親しくする目上の(敬い立てるべき)源順が書いたものだったので、さわれなかったということはないでしょうか。源順の書いたものはそのままで、途中から清少納言がこうあるべきと考えるストーリー展開に変えることで、終わり良ければすべて良しではないけれど、報恩の人として終えることで折り合いをつけたということはないでしょうか。それとも、もしかしたら(わかりませんけれど)、復讐したくなる思いもわからなくはないという思いもあったのでしょうか。それともこういう復讐劇を考える人もいるのだということを(特定の)誰かに、伝えるのも悪くない、知らせるのも一つなんじゃあないかという思いや考えなどもあったのでしょうか。では、清少納言は一体誰に、というか誰を、頭に置いていたのでしょうか。それは、中宮定子の父親である藤原道隆の一族を没落させた、道隆と血のつながった実の兄弟である藤原道長ではないでしょうか。おちくぼ姫がヒロインなら、その姫を幸せにするヒーローは、実は藤原道隆の息子である道頼をモデルにしているのではないかと言われているようです。現実は、道長が道隆一族を滅ぼして、道隆の娘であった定子から中宮の位も命も奪い、道頼も若くして死に追いやったというのが実際のところでしょうか。その経緯や有り様は、表向きは道長は何もしていないというていを装っていたのでしょうけれど、実際には道隆と道長の権力闘争(というよりも道長の一方的な道隆一族に対する徹底した執拗な攻撃でしょうか)が繰り広げられていたのは公然の事実だったのではないでしょうか。時代がさかのぼるほど人の残酷非道さというのがひどくなるとか際立つという傾向があったりするでしょうか。この平安の時代に道長が道隆一族を標的に裏で糸を引き仕掛けた追い落とし工作というのは(もしかしたら)常軌を逸した普通では考えられない異常なものだったのではないでしょうか。そうした道長の冷酷無比な非情なやり方というものを、中宮定子の身近に仕えていた清少納言の父親が懇意にしていた仲間と言ってもいい親しい友人でもあった歌人の源順が、『落窪物語』(巻三の途中まで)を通じて、道長に突きつけるような形(思い)で、表向きは道頼をモデルにしながら、道長の所業とはこのようなものだと描いたものだったということはないでしょうか。実際には、中宮定子は夫の一条天皇と大変仲睦まじい関係だったようです。ただそれも、道隆の死により後ろ盾を失い、なおかつ道長の暗躍(というよりももう露骨な働きかけだったかもしれませんけれど)により道長の娘である彰子が入内し(一条天皇の后となり)、しかも道長のごり押しで、本来中宮の位につけるのは一人だけのはずなのに、彰子までもが中宮を名乗るという異常な事態になったようです。一条天皇の定子を想う深い愛情はなんら変わりなかったようですが、平安の時代には天皇といえども権力を持った貴族の意向を尊重せざるをえない一面もあったようで、定子の立場や境遇は悪くなるばかり、結局、道頼と同様に若くしてこの世を去ることになったようです。こうした定子の不遇の身の上を、おちくぼ姫に託して描かれているということはないでしょうか。そしてこのおちくぼ姫を幸せにするヒーローに、同じく道長に泣かされて命まで落とした道頼を思わせるキャラを当てながら、同時にそのヒーローには道長と同じ、それが人間のやることかと非難せずにはいられない、えげつない、えぐい行いをやらせているということはないでしょうか。清少納言という人は、誰に何をされようと絶対に自らを落とすようなことはしないというか、そういうプライドというか矜持を持っていたように思われないでしょうか。どんな目に遭わされようとも完全に無視するというかまったく相手にしないというか、攻撃を仕掛けてくるような輩の存在など目に入れないというかスルーするという感じじゃあないでしょうか。だからといって、ただ座して泣き寝入りもしない――敵に目を向けないというか視界に入れず、大切な人のことだけを想い、その人のためにできることをやっていく――それが清少納言流のように思われないでしょうか。そしてその清少納言流ゆえに、あれだけ『枕草子』の中で毒舌のオンパレード状態でも、どこか何か憎めない、スカッとするような、清々しいものさえ感じられるのではないでしょうか。そうした清少納言も頭に置きながら、この『落窪物語』を読み(同時に清少納言が『枕草子』に何を託していたのかを考え)たいと思います。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。次回もまたぜひお付き合いいただけましたら何よりです。またこのページの最後に掲載いたします英語版(有料)もぜひお読みいただけませんでしょうか。あわせてお心付けもお願いできましたらありがたく存じます。
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